10月 28, 2012
tronmc

郷愁の、萩の月

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転勤族の家庭で、幼い頃何年か仙台に住んでいた。
そこを離れてもしばらくの間、仙台は自分が住んだ中で一番の都会だった。
だから、成長に伴って世界が広がるという流れの中では、ある意味最高到達点だった。また、離れてからもそれ以上はなく、つまりはおおよそ逆行だったため、懐古の情と共に憧憬が深まった。
もっとも、ただ都会だから良かったのではない。そこでの暮らしが充実していたことも大きい。

余談。
都会でも住宅地は地味だ。幼いので自力での移動手段は歩きか自転車しかなく、地味な範囲から抜け出すには大人の手を借りる必要があった。それもまた…といってもこちらは主観的な意味だが、成長(大人になること)によって世界は広がるのだということを信じる要因になった。でも現実はそうではなかった。

右肩上がりに揚々とした日々を送る中で、そしてそれを失っていく中で、仙台で暮らしている、及び暮らしていた証拠として祭り上げた物がある。土産物のお菓子、仙台銘菓「萩の月」だ。
饅頭の形をしたカスタードクリームを包んだカステラというのは、幼い味覚にも非常にわかりやすい味と体裁だった。加えて、土産物という公共的なイメージ。自他共に認めることのできる、仙台らしき物とすることができた。

今考えると、なんて急ごしらえな概念だろう、とは思う。
当時はまだあんこを快く思っていなかったので、伊達絵巻や白松がモナカではだめだった。笹かまぼこもスーパーに売ってるじゃないか、と。
成長して味覚が肥え、そういうものの良さを新たに覚えつつ、萩の月にもさらに良さを感じるようになっていった。そうして徐々にアップデートをしつつ、特別な物という認識は今でも消えない。
模造品を口にする機会もあったが、その度に萩の月が唯一の存在だという認識も深まっていった。

そんな萩の月を頂き、久しぶりに口にした。

カステラ生地はしっとりしていて、非常にきめ細かさを感じられる。カスタードクリームはきめ細かくなりつつも、幾分か生地に残るカステラらしさに合わせるかのように、細かく粒が立ち、柔らかすぎず、固すぎない。
よくあるカスタードクリームのような甘さが表層を撫でていくような感じはなく、ずっしりとまでは言わないが、適度な重さのコクがある甘みがたまらない。

部屋で一人で頬張ると、郷愁の念もこみ上げる。
ただし、大事なお菓子に無用な塩味をつけないように、気をつけて、気をつけて食べないといけないのだ。

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