6月 11, 2006
tronmc

「本当の自分」について考える

最近、ある会社の同僚の友人と、業務時間外によく話をします。

客観的に見れば、俺が彼の悩み相談に乗ってあげている、という形になるんだろうと思います。

そのことについて、自分の考えを整理する意味も含めて、少し書き綴ろうと思います。

 

—[彼について]—

彼は私のように重苦しくてイケてないような人ではありません。
(外見的にも内面的にも)

とても向上心があり、明るく楽しく生きたいという、しっかりとした願いもあります。

ただ、内面的には一般の人より純粋で無邪気な趣があります。

ゆえに、社会の水に少々苦しむところがあるようです。

 

—[彼の置かれている状況]—

明るく楽しく賑やかに仕事をしたい。

しかし、それをよしとしない人もいくらかいる。
例えば静かに集中してやりたいっていう人もいる。

そこで、ふと立ち止まって考えてみる。

すると、その間は考えるという行為にリソースが割かれるワケだから、賑やかさは相対的にダウンする。

そうなると、彼に対して、彼らしくない、と言う人が多かれ少なかれ、存在する。

 

—[そこにある問題]—

まとめすぎだろ!ってくらいにまとめますと、

「本当の自分はどこにいるか。」

まず、明るく楽しく賑やかに、を貫きたい自分がいる。

しかしそれをよしとしない人がいて、その考え方もわかるから、貫き、押し通すこともできない。

そこで自己が揺らぐ。どうしたらいいんだろう、という悩みが発生する。

次に、そんな揺らぐ自己を認めてくれない人がいる。
(=悩んでいて賑やかじゃない彼は彼らしくないと言われること)

重要なのは後者。

彼が悩んでいる、という状況は、彼の主観的には賑やかにする、しないという二択以外の答えが出る可能性をはらんでいる。

(そもそも二択のどちらかで納得がいくなら悩まない)

しかし客観的には、その状況にある彼は、「賑やかでない彼」としか見えない。

この食い違いが重要な問題で、彼らしくない、と言葉をかけることが、彼にとっては賑やかな自分以外を全て否定されることのように聞こえる。

ここまで具体的な構図認識はしてないまでも、彼はこのことに心の奥底では気付いている。

だから本当の自分というものを理解してもらえていない(=自分は二択で片付く存在じゃない)と考えているのだ。

 

—[私の所感]—

経緯は違えど、本当の自分と、それをふまえた他者との関わり方というのは、私も考え続けている問題です。

ここ2 – 3ヶ月も、環境の変化があったので、再びこの問題について考えました。

だからこそ、彼の話が聞けたのだろう、彼も話してくれたのだろう、と思います。

そうして、全てではないものの、概ね、彼の話せる範囲で彼の問題を理解したつもりです。

これは客観的にどういうことでしょうか。

もう一度彼の状況を整理させて下さい。

1・賑やかにする
2・賑やかにしない
3・その他

極端に見れば、結局のところこの三つが彼自身の選択肢になるでしょう。

対して、彼を取り巻く人々については、

1・賑やかじゃないと彼らしくないと言う人
2・賑やかをよしとしない人

という大別になります。

1の人は選択肢1を、2の人は選択肢2を支持する形になり、3が抜け落ちていたのです。

そこに、選択肢3に対応するものとして、彼を取り巻く人々の3として入るもの…それが私なのです。

つまり、彼がこの先どういった選択をしようと、それは抜け目なく誰か一人以上には必ず支持してもらえるということなのです。

誰もが認めない、という状況が形作られることはない、ということなのです。

それは、どんな選択をしようと本当の自分が隠れることはないのだ、と言い換えることもできます。

ただし、支持しない人もいるであろう、というリスクが伴うことも事実です。

リスクが伴うということは、選択するということは挑戦になる、ということだと言えます。戦いなのです。

よっぽどひねくれない限り、勝ちたいはずです。
負けたとしてもその代わりに何かを得たいはずです。

であれば、自信を持って臨みたいでしょう。
何か武器があればより良いでしょう。

なので、自分が自分で認められるモノで勝負しに行くのがベター、というかその時点でのベストチョイスになるはずです。

勝つためにそれを探すのであれば、悩んで悪いことなんてないと思います。いくらでも悩んで探せばいいのだ、と思います。
(時と場合にもよるけどね)

 

—[まとめ]—

断言できることは何一つありません。
以下はその上で読んでもらえればと思います。

認めてもらいたい。独りになりたくない。

こういった思いは誰しもが持っていることでしょう。

でも、安心して下さい。

わかってくれる人は、いるんです。

そして、もし自分自身に対して、自分を偽っているのではないか、本当の自分ではないのではないか、といった「真実」と「虚偽」に分離する価値観が生じたと感じるのであれば、信じられることとか、できることをするのがベターだと思います。

人は、人の全てを理解することはできません。

例えば自分の特徴が10コあったとします。
でも、他人は最大5つしか理解できないとします。

だったら、この5つに理解してもらえたら気持ちいいことを詰める方がいいんじゃないでしょうか。

だから、本当は暗い人でも、人前でわざわざ明るくする必要はないのです。その辛さをわかって、暗くても生きていけるように処してくれる人もいるんです。

わからないのにわかっているように振舞わなくていいんです。教えてくれる人もいるんです。

ただ、それは黙っていても見つからないでしょう。

だから、ほんの少しでもいいから、コミュニケーションや人間関係を大事にするのがベターなんだと思います。

4 Comments

  • 深いですね。とんかちも考えされました。
    すべての人に認められるのは無理ですよね。
    自分も好き嫌いがはっきりするほうなので
    よくわかります(まぁ、これが自分の欠点なのですが・・・)

    彼は人の目を気にして、その期待に応える様に努力する真面目なタイプみたいですね。

    ただ、最近はやりの心の風邪(うつ病)予備軍の典型的なタイプのような気も・・・。

    たまには、息抜きを大事にするのもいいかもしれませんね。

    まぁたいした意見になってないですね。すいません。。。

  • いつになく真剣な話題ですね。
    自分はそこまで大げさに考えたりしない無頓着な性格ですね。

    ただ、これだけは妥協しないってのは「自分らしさ」ですかね。
    周囲がどうこう関わらず自分を貫くというか・・・
    もちろん、それが裏目に出ることもありますが
    結果がどうあれ自分に責任がかかる様にしてれば対処しやすいので(^^;

    要するに、他人に理解も希望も持たない寂しい人間っす、自分は(爆

  • >とんかちさん

    いえいえ、的を得たご意見だと思います。
    とくに息抜きについてですが、仕事=楽しみになってしまうと、息抜くところを見つけるのが大変になりますよね。
    こちらからもなるべく仕事とプライベートの切り替えができるように働きかけてみようかと思います。

  • いやぁ?、大人ですね!
    しっかり責任と向き合って自分を出していくのはカッコイイことだと思いますよ。
    そのスタンス、いろんな人に知ってもらいたいですね(^0^)

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