10月 8, 2012
tronmc

ガンダムAGE キオ編・三世代編の感想 死の捉え方が子供向け?

●いのちだいじに

キオ編終盤、キオはルゥ、つまりはヴェイガンの市井で出会った一民間人の少女…の死を目の当たりにし三世代編から変わっていく。
キオはヴェイガン憎しという考えを改め、戦場に対して、敵味方関係なく人が死なないことを求めていく。見ていて、まずそこに戸惑った。

因果関係が見えない(見えにくい)からだ。
因果関係というのは、例えば、飲酒運転で家族を亡くした人が、飲酒運転撲滅を訴えていく、というような話。「殺したくないのにー!」と言っていたことで比較されるキラ・ヤマト(ガンダムSEED)の場合も、戦争が原因での死に立ち会ったから、戦争での死を望まないと解釈して、これは因果関係だと納得する。そういうものがないのがないところで、キオに戸惑ってしまう。
だって、ルゥの死はマーズレイという病によるもので、結果、残された者(キオ)が求めるのも病に関することではないんだもの。よくよく考えてみれば戦争の遠因で、何か間接的にでも戦争が治療を邪魔したのでは、ということも(ぼんやりと)考えられるが、逆に言えばよくよく考えないとそういうことが見えない。それで、唐突だとか、説得力がないと感じてしまうのだ。

しかしながら、どんな成り行きでも、人一人の死を契機に、さらに大きな単位の命に向けて尊さや愛情を認識できる、訴えられるということは単純に素晴らしいことだろうし、死と距離を置く現代の我々も、割とそういうところがあるのではないかと思う。
だから、我々の自然な感情を反映して、人が死んだから悲しい、だから誰も死なないように…という原因と結果でしかなくて、それに沿ったという話以上でも以下でもないのかもしれない。
そういうストレートな部分がガンダムAGEが子供向けというゆえんなのかもしれない。
コストがかからないと、生き死にが受け入れられないのは健全じゃないのかもしれない。

そこで溜飲が下がらない、これだから子供向けって嫌だということであれば、ガンダムUCが当てられるのは理にかなっていて、きっちりと戦争を要因として、多様な人の生き死にが出てくるのが対照的だ。

ただ、じゃあなんでマーズレイなの、ルゥはああいう死に方をしたの、というのももっともだ。ヴェイガンの窮状を見せるということなのだろうけど…。

また、キオは死なないことを求めると同時に、ヴェイガンに対して僕たちはわかり合える!という語りかけも行う。これもガンダムっぽくて雰囲気はあるセリフだ。ルゥと心を通わせる(ていうか仲良くできただけにも見える)ことがができたからなのだろうが、これもまぁ、死なないことと同じようなものだ。

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