4月 30, 2010
tronmc

1stガンダムを観て:1stの脱勧善懲悪

思ったことなので書いておきますが、当たり前のような話です。
前回書いた「健全さ」っていうのもここに結びつくかもしれません。

1stガンダムといえば、「勧善懲悪」ではない作劇がされたものと言われていることが有名だと思いますし、後のシリーズもそういった感じであるものが多いです。
ヒット作だから大きくそれが言われており、厳密にはルーツになるものとか、それ以前にアニメ/ロボットアニメでやった作品は云々あるんだと思いますが、そこらへんは詳しくないし、今はどうでもいいです。
とにかく、「脱勧善懲悪」を約30年前にロボットアニメやって、状況によってはその開祖かのように言われることもある1stガンダムのTV版を見てどうだったか、という話を書こうと思います。

確かに、「勧善懲悪」ではないと思います。まぁこれは当然ですよね。
しかし全体を見て思ったのは、「連邦にほとんど悪党いなくね?」ということ。

思いつくのは…オデッサ作戦前に出てきたエルランくらい?でもこれもやってたのがスパイ行為なんで、ジオン側に転嫁できちゃいますよね。
また、戦争という要素はともかく、難民と素人の現場だったり、囮にされたりといったホワイトベースへの冷遇も悪っちゃ悪なんでしょうけど、どうしても少年達の成長における試練みたいなものに見えるところが大きいような感じがするんです。
そして、どうしてもジオン側の方が悪辣に見えます。
すごくわかりやすいところだと、例えばドズルがビグザム上でガンダムを射撃する場面。アムロに悪魔のような気の広がりが見えているような描写があります。あとは、ガルマ死後のギレンの演説。ブライトに批判させちゃっています。
そのくらいのレベルで、「おお、コイツはワルだ!」みたいな存在、ってのが出てこないんですよね。

また、ホワイトベースクルーは、ほとんど状況に対して生き残ることが目的のようなもので、彼らには善の理念が見えません。
脱勧善懲悪というと、どちらにも善悪があるような状況を連想しがちでした。しかし1stガンダムについては、善悪の無さ(薄さ)が脱勧善懲悪なのかもしれないな、というのが今回観て気付いたことです。

今となっては違和感のある作りに見えないこともないです。例えば、ララァじゃないですけど戦う理由ってのが見えてきません。それは盛り上がりのある話作りに弱さを持つことでもあるでしょう。
ただ、逆に考えれば下手な理由付けや大義名分がつかないのが強みかもしれません。富野氏の著書、「∀の癒し」で星山博之氏の指摘として記されていた「ファースト・ガンダムのときにあった”どうでもいいや”という部分」というのには、こういう部分もあるのかもしれません。

後付け設定としては、1stガンダムの世界(一年戦争時)での連邦にもけっこうな悪党はいることになっています。
Zガンダムのティターンズ将校(バスク・オム等)や、08小隊のイーサン・ライヤー等々…。
しかし、あくまで1stガンダムの劇中ではそこまでヒドいのは出てこないんです。
個人的にはそこが1stの特徴の一つと言えるのではないかと思います。
もしかしてまだ「子供向けロボットアニメ」という枠を出ていなかっただけなのかもしれませんが…それはともかく、これが「節度」というものかな、と。
今でこそ大人もターゲットに入るものになっていますが、やはりアニメですから、子供から少年、青年あたりが受け手としていいところです。そういう層に対して提供されるものとして、「勧善懲悪」ではないにしろ、主人公側に悪がないのは、道徳的に良いことだと思います。

さらっと書いちゃいましたけど、この道徳的に、っていう部分はすごく大事なことだと思います。個人的には1stがこういう体裁だったのがある意味救いでした。
というのも、良くも悪くも、そして時代とか時間のせいもあると思うのですが、ガンダムシリーズっていうのは道徳的にぶっ壊れてるところが多いと思うからです。
戦争物ですから当然かもしれません。
ところが、地球をぶっ壊すような活動を、シャアみたいなキャラがやってしまったり(逆襲のシャア)、結果的に宗教テロのようなことをガンダムチックなものやってしまう(ガンダム00)ものがあると、ドラマとして受け入れられてしまいます。娯楽、作品としてあって悪いものではない(個人的にはどちらの作品も好きです)のですが、人類の革新だ何だとやたら崇高そうに見えて、現実的にはヤバいことなんだという感覚が薄れがちです。

もしかしたら、こうやって1stガンダムが悪くないと思うのも、実は小言に目をつむるような愚かしいことなのかもしれません。
しかし、1stガンダムを観て感じたある種の爽やかさに、改めてドラマに飲まれてはいけない、ということを思った次第です。

1st以降、ほとんどのガンダムはそれぞれの組織に政治的な大義名分が出てきて、それこそどちらにも善悪があるようなものになっています。その下地という意味でも、それとは違った趣という意味でも、1stは貴重なものなのではないでしょうか。

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