4月 1, 2010
tronmc

1stガンダムTV版を観て:今更気付くニュータイプへの誤解

本当は「なぜ(今)1stガンダムのテレビ版を観たか?」ということを書くことから始めるべきなんでしょうし、テレビ版に即したことを書くべきなんでしょうけど、まずは劇場版でもいいようなことを書かせて頂きます。

続きから、とかけておきますが、あくまで思ったことを垂れ流すだけで、論評みたいな域には達しないので期待はしないで下さい(^_^;)

ニュータイプっていうトピックに関して、自分の中で新しいものとして、小説版ガンダムUCが挙がります。4巻読了で止まっています。
以前ここでも感想を書きましたが、4巻終盤のバナージとマリーダの感応の部分に対して印象が悪かったのがしこりとして残っているのが大きいんです。

簡単に言えば性的虐待ですね。辛いものを見せられるわけで、それに対する生理的嫌悪っていうのもあるんですが、それがニュータイプ(厳密にはマリーダは強化人間、人工ニュータイプと言われるような類ですが)の感応の中で開示されるっていうのはいかがなもんかと思ったワケです。
しかもけっこう冗長なストーリーテリングとして行われるんですね。まるで記憶を共有するような感じなので、ニュータイプってそんな便利なものかな?…というか、「便利なものかよ!?」みたいなある種憤りのようなものさえ感じました。知っている限り前例のない使われ方だから、保守的な考え方が働いてしまったのかもしれませんけど。

で、今回1stを観て、というところですが、そういう部分は許容してもいいかもしれないなぁ、というのが一つです。ただ、「福井晴敏氏の書くことだからちょっと大げさだけどね(笑)」的な部分に則り…ですが。
(例えば福井版∀もだいぶ大げさですし、UCではNT-D時のユニコーンの挙動が『瞬間移動』とか…そういうところも含めて、大げさなところがあるんです)
ララァの「あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに…」というセリフが出てくるくだりでアムロの苦悩じみた表情が大写しになったときにハッとそう思ったんです。
ちなみに、自分は劇場版は何度も観ているのですが、これは別にテレビ版だからそう思えた、ということにはなりません。しかし、今観たから思えたことです。
ただし、別に論拠が見つかった、というワケではないんです(だから期待するなって書いたでしょ?w)。

ただ、ララァとアムロの感応の部分において、バナージとマリーダの感応の部分に憤るような先入観が付いてしまうような要素があったというのに気付きました。
というのも、ララァには先に挙げたセリフの前に「なぜあなたはこうも戦えるの?」と言っています。それがひっかかって、「守るべき人も守るべきものもない」という部分が、アムロの境遇に対して抽象的な理解をした上での発言なのではないかと聞こえるんです。
もっとも、その前提には自分に「ニュータイプは誤解なく相互理解できるもの」という、事前情報の認識…いわば設定厨的な部分があって、感応が始まった途端に相互理解があったものなんだと思い込んでいたんです。相互理解の上で「なぜ」という発言なのだから、ニュータイプの相互理解というのはその程度で、ララァの理解は抽象的なんだ、と思ってきたワケです。そういう理解だから、バナージとマリーダのような記憶が見えるようなのはおかしくないか?と思ってしまっていたのです。

しかし、(お前は今まで本当に何度も劇場版を観ているのか?と言われそうですが)恐れ多くもかのくだりは相互理解をする途上ではないかということに初めて気が付いたのです。だいたいにしてアムロだって「ではララァはなんだ…」って言っていますし…。それに返答があったり、とやり取りしていった結果の「遅すぎた」「早すぎた」みたいなところが相互理解としての落としどころなんでしょう。
結論としては私の「相互理解」の認識がおかしかった、というところで片付きます。

その上で、ニュータイプも感応という場でステップを踏んで相互理解をするんだと思えば、どこかの間でララァがアムロの境遇を具体的にわかっていたということもあり得るし、その延長としてバナージがマリーダの記憶を垣間見るということもあり得ることなんだと思いました。

でもやっぱり福井ガンダムは大げささ!w

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