12月 28, 2005
tronmc

「リスク」に際しての「情」

NEWS23、今年最後の放送。
「格差社会版人生ゲーム」っていう企画があり、興味を惹かれて見たんだけど…

人生ゲーム使う意味あんのかなぁ?

って感じだった。

「(何らかの効果がある)マスを歩む」という醍醐味的な要素を、「いいマスに止まる人もいれば、不幸なマスに止まる人もある」という具合にものすごく抽象化して使うくらい。
あとはやはり、それに合わせて今年のニュース映像をまとめたものを流す。
というよりはこれにこじつけて人生ゲーム的要素を使うって感じだった。

もしかすると、自ら心の奥底でバラエティーチックな構図を期待していたのかもしれないから、その点は反省だ。
だけど、やっぱりプロパガンダのガジェットのように思えてならない。

さらにはその「ゲーム」という構図でBGM、ナレーション等で演出をしてしまうことで、不幸な人をバカにしているのではないかと取れるようなシーンさえあった(誰かを亡くすような事態に遭った方とか…)。

それがイタダケナイと思わせるのは「情」の成すこと。
そういう観点から、「人生」と「ゲーム」を結びつけることに抵抗を感じる人もいるだろう。
しかし、表現によって均一化とか、アイコン(属性)化とかが可能になってしまう。
それも事実。

さしあたり、情に基づいてこの企画を良しとしないことは簡単だ。
だが、リスクをそういったものとして考える道もあるということなのだ。
もっとも、それは方便くらいにしておかないと、本当にイヤな人生になってしまうが…

もし、そんな「ゲーム」でくくられる枠がどうしようもなくけしからん!という方がいれば、ゲームをやってみてはどうですか?
激しく状況が移り変わり、流れゆくでしょうが、負けずに考えてみて下さい。
「リッジレーサー6」をやりながら、そういう倫理問題に出くわして、ふと心細くなるようなときが、私にはあるのです。

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