3月 24, 2013
tronmc

「さくら荘」、原作改変というだけの深さがあって欲しいな、と

不可解な“原作改変”繰り返し、視聴者を挑発し続けた『さくら荘のペットな彼女』いよいよ最終話(1/2) – 日刊サイゾー
だそうで。
(わざわざ刺激的なことを書くサイトの記事にリンクを貼るのは「ネタにマジレス」みたいだけれど…)

 

さくら荘は毎週楽しみに見ている。
終盤にさしかかり、最近は涙なしには見られなくなっている。ちょうど今日23話の卒業式の回を見てボロボロと涙を流してしまった。

その後予告を見るためにググったらこの記事が目に付いた次第。
国歌や国旗をハブった原作改変に憤りの声があるようだけれど、サムゲタンのとき以上に、「それ大事なこと…?」と思ってしまった。

そもそも原作は読んでいないので、フェアにこの話の土俵には立てないけれど、それらのあるなしって、作品のおもしろさに関係するのだろうか。卒業式の様子をフルに、克明に表現するとか、心情の移り変わりに国歌とか、それが表現される時間が必要な話なのかなぁ。

サムゲタンが話題になったときには、読んでいないなりに、「原作改変」という文言を信じて、想像した。
おかゆの持つシンプルさとか、純朴な感じとか、目立たない感じによって、後輩君とななみんのイチャイチャにきっちりフォーカスに当てるための演出なんだろう、なんて想像もした。
一方、あのシャレオツ男の仁さんが作るもんなんだし、サムゲタンくらいこじゃれていてもいいんじゃない?とか、後輩くんとななみんを真正面からぶつけず、物に話をそらさせる、そらせる状況を作ってもどかしさを演出するためには効果的なんじゃないか、とも思った。もちろん、それは絶対にサムゲタンである必要はなくて、リゾットとかでもいいわけ。でもこじゃれて主張する存在なら適当でいいのだからサムゲタンでもいいわけ。

けれど、国歌、国旗は…うーん。
国歌なんかは情緒的なもの、風情のあるものと解釈して、場にそういう空気を与えようと試みる、なんてことはできるかも。大変だろうけど。あとは、国歌、国旗があるのが卒業式では当たり前…つまり原風景、っていう話なら、なくて寂しいね、げんなりするね、時代だね、なんて愚痴も適切。百歩譲って、原作にナショナリズムを啓蒙する意図がある、という場合でも、残念な改変と見ることはできるだろう。

違和感を生じさせたり、作品の持つ意味合いが変わってしまうのなら一大事だと思うけど、そういうレベルの話なのかなぁ。それくらいの話だったら深みがあっておもしろい話だと思うが、どうなんだか。
ただの嫌韓、ナショナリズムの問題ではあってほしくないなぁ。

(そう思うなら原作を読め!というのがスジなんだと思うけれど、青山七海さんがフラれるのが非常に耐えがたいと思うので、ちょっと…)

 

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